北海道新聞 渋川販売所 札幌市手稲区星置2条8丁目1−33 フリーダイヤル 0120-721-104


topics
contop
Topics - 最新エントリ
 最新エントリ配信

最新エントリ
カテゴリー
 
2018/05/09  (8:24 am)
カテゴリ: Web ぽれーる : 
執筆者: staff (8:24 am)
星置の歴史を歩く(第31回) 村元健治 

曲長通は本間農場の私設道路だった

 国道5号線の稲穂4条7丁目の側にあるスーパー・ジョイの所から北側に向かって、国道337号の交差点まで続く道路は、「曲長通」と呼ばれている。通りの名称は「かねちょう」と呼ぶのだが、初めての人は「きょくちょう」と呼ぶなどして呼び方としては難しいと言われている。その曲長通と呼ばれる道路の謂われには、札幌の老舗の酒造店が経営をしていた本間農場が関わっている。同農場の私設道路として開鑿された道路に屋号である曲長の名称が付けられたのだが、農場の土地が三菱鉱業が経営する手稲鉱山の鉱滓地として買収されたことにより農場解散に追い込まれるという誠に数奇な運命を辿ったのだ。        
 今回はこのことについて紹介することにしたい。             
 本間農場の母体とも言うべき「本間商店」は、初代江州大津出身の長助が明治10年(1878年)に札幌の南3条東2丁目の所で酒造業を始める。同業者の中でも早い開業で、老舗の一つだった。製造した酒の名柄では、「はつ緑」、「月の春」、「初桜」、「金麗」などであったが、中でも金麗は定評があった。  
 大正2年(1913年)に札幌で行われた「第3回清酒品評会受賞者一覧」で、「はつ緑2号」が一等に、また昭和13年(1938年)には「金麗」が入選している(加藤良己著『北海道の酒造家と酒造史資料』)。
 このように順調な経営を行ってきたが、明治の末頃、経営多角化の一環と思われるが手稲稲穂(当時は下手稲星置)に酪農を行うべき農場を取得した。
 この本間農場については、大正2年に北海道庁が出した「北海道農場調査」によると、「明治37年丹内又吉ヨリ買入レタルヲ始メトシテ漸次膨張シテ現今二至レリ」と記されている。土地面積は、128町ほどで、そのうち畑が102町を占めているが、これら畑では燕麦、大豆のほか牧草の栽培も行なっていた。小作農家が26戸うち農場の敷地内に居住する者が6戸となっているが、その他、通いが10戸となっており、小作経営をしていたことが伺われる。          
 注目の道路については、「農場付近交通ノ状況」と題して「軽川停車場ヲ去ル西北方鉄道線二沿フテ約六百間、南方入口ヨリ鉄道踏切ヲ経テ札樽国道二約五十間該入口ヨリ山口村二至ル約六百間私設道路ヲ開鑿シテ以テ樽川村及銭函村二至ル便アリ」と記しているように私設道路として開鑿されたのだ。このいわば本間農場の農道と云うべき道路が、後の曲長通となっていくわけである。     
 次にもう一つの注目すべきこととして、同農場の土地が手稲鉱山の鉱滓池になったことである。同鉱山は、昭和10年(1935年)に三菱鉱業が経営するところとなるのだが、政府の産金奨励政策などの後押しなどもあって、その後、急速に大増産体制を敷いていく。その際、選鉱処理した鉱物の残滓を貯蔵する沈殿池の確保が欠かせなかったが、その白羽の矢が立てられたのが本間農場の土地だった。札樽国道を越えて函館本線の北側、現在の札幌市運転免許試験場、手稲軽工業団地、星置運動公園を含む近辺を所有していた同農場の土地を格好の鉱滓地として狙われたのである。
 大三菱からの強い要請を前にして、2代目長助は、買収されることに同意をせざるを得なかったのだろうと思われるが、問題は農場内に居住していた小作農家の人たちだった。         
 ある人は富丘に、またある人は隣の山口に、またその他の人達は銭函、広島町に転居をしていった。これらの人達は北陸出身が多く、互いに気心も知れる仲間同士であったというから、それぞれ離れ離れに転居していくことについては、相当辛いものがあったに違いない。











今月のワンニャン♪

 今月は星置にお住まいの光沢さん宅のパインちゃん(シェルティ♀、7歳)です。
 パインちゃんは2代目のシェルティ。人の言っていることは何でも解かっている様子です。
 夜に寝る時は息子さんと寝るのが習慣で、2階へ自分で上がり部屋で一緒に寝ます。

カテゴリー
 
2018/04/24  (2:01 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (2:01 pm)
新聞休刊日のお知らせ
5月の新聞休刊日は7日(月)です。
7日(月)の朝刊配達はありませんので、ご了承ください。
 
ゴールデンウィークの夕刊について
4月30日(月)、5月3日(木)・4日(金)・5日(土)は祝日及び振替休日のため、夕刊はありません。
カテゴリー
 
2018/04/04  (5:27 pm)
カテゴリ: Web ぽれーる : 
執筆者: staff (5:27 pm)
星置の歴史を歩く(第30回) 村元健治

かつて大森林に覆われた星置・山口 

星置、山口地区の農業は稲作、酪農、畑作と時代によって変遷を経ながらも、山口地区においては特産物の「大浜みやこ」、「サッポロスイカ」をも誕生させるなど発展を見せてきた。しかし近年は高齢化と都市化のあおりを受けてその作付面積もじり貧となる中で、これら農業の土地利用に替わって増えてきたのが宅地を中心とした工業用地などの非農業的土地利用だ。その中でも依然として増え続けているのが宅地利用で、近年でも星置3条1丁目地区に「ほしが丘団地」が作られるなど、その勢いは衰えていない。
星置地区等の土地利用は、このように目まぐるしく変わってきたと言えようが、改めて、人々がこの地に入植する以前の土地利用というものは、どのようなものから始まったのかについて次に見ることにしたい。
これについては一言で言い表すなら、何も利用されていない自然そのものの状態、具体的に言うと一部湿地を含む大森林地帯であったのだ。
この大森林であったということは、実は何も私たちが住む星置・山口だけでなく、全道的にも当てはまるものでもあったことは言うまでもない。その意味で我が星置・山口地区もその例外では無かったということだ。
そこで、次にその大森林だったということを偲ばす幾つかの証言、資料を紹介したい。
まず一つ目は、星置に最初に入植した古老の話から紹介したい。この人は明治17年(1884年)に広島県から両親と共に13歳の時、入植した岡本ヒロ女だ。彼女によると「この辺、一帯は大木が茂っていて熊や狐が横行していてものすごくさびしいところだった。1本の大木から薪が5しきから7しきもできた」という。また汽車が通るのが見えなかった(ほど木が多かった)とも証言している(以上「手稲町誌」昭和43年・上)。
この証言によると、明治14年に既に小樽・幌内間を走った汽車の姿が森林が邪魔して良く見えなかったという意味だろうが、それほど物凄い大森林に覆われていたことが伺われる。それと1本の木から薪が5〜7敷も獲れたほどの大木があったというのも注目される。
敷(しき)というのは、開拓当時から高度経済成長時代に入るまでの北海道の暖房の主要な燃料になった薪を数えるときの単位を表すもので、長さ2尺(約60)、直径6寸(約14)の薪を高さ5尺(約150)、幅10尺(3m)に積み上げたものを指す。
この1敷分量の薪が1本の木から5〜7敷も獲れたというのだから、いかに凄い大木だったか想像できよう。
次に紹介するのは、明治開拓前の安政年代の頃だが、星置にいた早山清太郎のことだ。彼については本シリーズの第2回に取り上げた在住の人々の記事の中で取り上げたが、それら在住者の人の住宅のための木材を切り出す等、木の伐採業務の仕事をしていた。場所は滝の沢辺りということだが、いずれにしても木材の伐採を業務とするほど森林が豊富だったことが伺える。
最後に紹介するのが、これも本シリーズの第3回の札幌越え新道の建設に関係しての話だ。明治2年12月に札幌から銭函方面にかけて道を付けるにあたって、両地区から烽火を挙げて進むも湿地と森林に妨げられ、うまくできなかったということがあった。妨げられた具体的な場所は書かれていないが、どうも星置・銭函間の箇所を指していると言われるが、この地帯は正に、森林と湿地が織りなす難渋の地だった。大森林が邪魔をして目測を誤ったのであろうか。
以上、わずかな証言なり資料からの推測となったが、星置・山口の人々が入植する以前のこの地区というのは、ほとんど人の手が入っていない大森林というか、深い森に覆われていたことが伺えよう。そこの森には、ヒグマはもちろん、キツネ、シカなどの様々な動物たちが咆哮・闊歩していたことであろう。












今月のワンニャン♪

 今月は星置にお住まいの佐藤さん宅のジョン君(柴犬、♂、2歳)です。
 犬好き、人間大好きです。     
 初対面の犬にもズンズン行き、相手に吠えられることも・・・。      
悪気はないのよ〜、友達になりたいだけなの〜。              
と、母は心の中でつぶやいております。
 散歩中に会ったらよろしくねっ!
カテゴリー
 
2018/04/03  (4:30 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (4:30 pm)
新聞休刊日のお知らせ
4月の新聞休刊日は9日(月)です。
9日の朝刊配達はありませんので、ご了承ください。
 
祝日の夕刊について
4月30日(月)は祝日のため、夕刊はありません。
カテゴリー
 
2018/03/08  (5:56 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (5:56 pm)
祝日の夕刊について
 
3月21日(水)は祝日のため、夕刊はありません。
また、 3月は新聞休刊日はありません。
カテゴリー
 
2018/01/25  (8:43 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (8:43 pm)
【休刊日のお知らせ】
2月の新聞休刊日は5日(月)です。
5日の朝刊配達はありませんので、ご了承ください。
 
【祝日の夕刊について】
2月12日(月)は祝日のため、夕刊はありません。
カテゴリー
 
2017/12/28  (1:48 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (1:48 pm)

 
【年始朝刊休刊】
1月2日(火)です。
2日の朝刊配達はありませんので、ご了承ください。
 
【年末年始の夕刊休刊】
12月29日(金)〜1月3日(水)
1月8日(月)は祝日のため、夕刊はありません。
カテゴリー
 
2017/12/04  (6:16 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (6:16 pm)
新聞休刊日のお知らせ
12月の新聞休刊日は11日(月)です。
11日の朝刊配達はありませんので、ご了承ください。
 
祝日の夕刊について
12月23日(土)は祝日のため、夕刊はありません。
カテゴリー
 
2017/10/26  (3:49 pm)
カテゴリー
 
2017/10/26  (3:49 pm)
カテゴリ: お知らせ : 
執筆者: admin (3:49 pm)
新聞休刊日のお知らせ
11月の新聞休刊日は13日(月)です。
13日の朝刊配達はありませんので、ご了承ください。
 
祝日の夕刊について
11月3日(金)と23日(木)は祝日のため、夕刊はありません。

« 1 (2) 3 4 5 ... 10 »

conbtm